頑丈な檻の秘密


 自転車を置くスペースには、辛うじて入っていたはずだ。
(ガッシャン)という派手な効果音が王泥喜の耳には届いていたけれど、そんな事に構ってなどいられなかった。
 もどかしい脚を目一杯早めて、入口の自動ドアが開く時間さえ鈍く感じて苛々する。硝子越しに見えるその部屋には人影が少ないのを確認して、足音も荒々しく急患用の待合室に飛び込んだ。
 形相が変わっていただろう王泥喜を迎えたのは、反対に笑顔で手を振るみぬきの姿だった。
 普段のシルクハットにマントという魔術師の出で立ちではなく、彼女の通う中学校の制服。待合室に並べられた長椅子に腰掛けている。
 彼女のたくし上げられたスカートから覗く脚には、膝小僧の少し下まで白い包帯が巻かれていたけれど、元気そうな彼女に王泥喜は安堵の溜息をついた。

「あ、来た来た。」

 みぬきの横に座っていた茜が呑気に笑う。こっちこっちと手招きされるままに、彼女達の前に立った。
「ごめんなさい、王泥喜さん。驚かせちゃいました?」
 王泥喜は、彼女の顔を見下ろしゼイゼイと荒い息を整えてから、ゴクリと唾を飲む。
「驚いたに決まってるだろ。階段から落ちたとか言われてさ。」
「そう!そうなんですよ、みぬき、落ちちゃったんですよ。
 授業が終わってですね、こう急いで帰ろうと思って駅を横切る階段を降りようとしたんですよ。」
「…で、落ちたと。」
 王泥喜の溜息と共に吐き出された言葉に、みぬきは(てへ)と頭をコツンと叩いて(ごめんなさい)のポーズを決める。
「アタシがたまたま近所にいてね、それで此処へ連れて来て連絡したって訳。」
「凄い偶然ですね。かりとうでも買いに出てたんですか?」
 コツンと王泥喜の額にかりとうが投げつけられる。アイタタと額を庇うと、今度はそのが集中攻撃された。固いかりんとうは、勢い良く投げつけられると結構痛い。
「誰がそんなもんの為だけに、出てるって言うのよ。仕事よ、仕事。」
「わかってますよ、イタタ、すみません茜さん。痛いです。」
「わかりゃいいのよ、わかりゃ。」
 ふんと鼻息を荒くする。王泥喜はガシガシと後ろ頭を掻いた。
「でも、仕事ですか?」
「何よ、疑うの?」
 再び袋に手を突っ込んだ茜に、王泥喜は慌てて両腕を付きだし、否定の為の手を振る。
「違いますよっ、刑事さんが出向く事件なんてあったかなって思っただけです!!」
 大慌ての王泥喜をみぬきはケラケラと笑い、茜は王泥喜に向かって鼻で嗤う。
「アンタね。私がいつも殺伐とした難問だらけの殺人事件ばっかりやってると思ってるんじゃないでしょうね? 
 不本意ではあるけどちょっとした傷害事件とかの捜査もやらなきゃいけないのよ。科学のメスひとつ入れる事は出来ない事件でも、やれと言われるならやらなきゃいけないわけよ。わかる?この不条理さ。」
「そうだね、不本意かもしれないけどやってくれないと困るね。」
 なんとコメントをつけようかと油汗を流していた王泥喜の背中から、ある意味適切なコメントが振ってきた。
 王泥喜が振り返らなくても、黄色い悲鳴を上げたみぬきと眉間に思い切りよく皺を寄せた茜に声の主は特定出来る。本当は声を聞いただけでも人物の特定は可能だった。
 そうして、王泥喜は、少しだけ顔を斜め上に上げる。金色の髪と、碧い瞳と。
「やあ、おデコくん。」
 弛みそうになった頬の肉を、王泥喜は慌てて引き締めた。

 出会った当時は赤の他人で、敵対する者同志だったはずの王泥喜と牙琉響也は、現在恋人関係だったりする。モチロン、男同士であることや職場関係の都合もあり二人の関係は秘密だったが、元々嘘の苦手な響也と、まだまだ人生経験の浅い王泥喜では、親しい人間達にはまるわかりらしく、近頃は所属する事務所の所長(自称ではない)には揶揄されまくっていた。
 なるべく表情を変えないように…。などと注意してみても、恋人の顔を見ていれば自然に鼻の下が伸びていく事など自然の原理みたいなものだ。それに加えて、嬉しそうに笑う響也の顔など見てしまったら、筋肉に歯止めが効くはずがない。

「…検事も来てたんですか?」
 努めて冷静に言葉を返せば、オデコくんは冷たいなぁなどと言われてしまうのだけれど。そんな事言われたって、どうしようもないじゃないか。
「現場へ出向かないと、真実はわからないからね。」
 しかし、響也は素っ気なくそう言い、みぬきに向かう。
あれ、どうにも態度がおかしいぞと王泥喜は思う。いつも自分に向けてくる笑顔がみぬきと茜のみに注がれる。
「怪我は大丈夫かい? お嬢さん。」
「大丈夫です。誰かに押されちゃって、踊り場から転がり落ちた位の捻挫なので、ほんのちょっと歩けないんですけど、松葉杖まで借りちゃいましたけど全然平気ですから!」
 力強く言い切るみぬきに、響也がなんとも複雑な表情をするのをみつつ、王泥喜も前髪を垂れ下げた。…それは、結構な怪我なんじゃあないのかな。
「歩けないのかい? 良かったら僕に家まで送らせてもらえないかな。」
「いいんですか!」
「勿論さ。」
 そう告げるや否や、響也はみぬきを横抱きにして持ち上げた。
きゃーっと再び黄色い悲鳴を上げたみぬきは、頬を紅潮させて間近になった王子様を見つめている。
 種も仕掛けもないのに、目に星が輝いているよ、みぬきちゃん。
「さあて、何処へ送っていけばいいのか、お嬢さん。」
「じゃあ、事務所までお願いします。月が青いから遠回りして帰りましょう。」
 ツッコミどころ満載の上、胸元で両手を組み正に乙女となっているみぬきの脳裏からは、すっかりと王泥喜の存在は消え去っていた。
 響也に限っては、意識的に無視するつもりらしくわざわざ、茜が見える方向にのみ振り返る。
「刑事くんも、御苦労だったね。今日はもう上がっていいよ。」
「はぁ〜い。」
 やれやれと茜は王泥喜に向き直る。
「さて、帰るか。あ、ちょっとこれ。」
 茫然と二人を見送っていた王泥喜は、彼女によって目の前にぶら下げられた紙で、我に返った。
「こ、これ?」
「彼女の治療費。しっかり払って帰ってよね。」
 ぐいと鼻先に近付けられ、渋々手に取れば、茜が会心の笑みを浮かべていた。
 一体俺は何をしに来たんだ…。
 王泥喜はズボンのポケットから取りだした薄っぺらい財布を眺め、きっと自分のところには帰ってこないだろう(みぬきの治療費)を払う為に、病院窓口へと向かった。


「…どういうつもりですか?」
 階段で待ち伏せをしていた王泥喜は、キョロキョロとアタリを見回しこっそりと降りてきた響也の背中に声を掛けた。
 ビクッと、可哀相な程に肩が震える。
「な、なんの事かな? おデコくん。」
「何の事かは、アンタの口から白状してもらいますよ。」
 自分の方を向かない響也だが、緊張の為に締まる腕輪に王泥喜は呆れて大きな溜息を吐いた。
「いいから、こっち来て下さい。」
 手首をむんずと掴みずんずんと歩き出せば、大人しく付いてくる。
 みぬきを抱き上げて歩く程度の力は持っているのだから、本気になれば手を振り払う事など造作もないだろうに、ちらちらと様子を伺いつつも従う響也に再び溜息をついた。構って欲しくて、甘噛みをする子犬みたいだ。
 少し離れた公園に連れ込んで、なるべく人目が届かない場所を探した。広葉樹が数本固まって植えられた場所の、真ん中にある樹に響也の背を押し付ける。
 暫く黙って様子を見ていても、白状する気配がないので、王泥喜から口を開く。
「さて、どうして俺を無視したんですか?」
「べ、別に無視したわけじゃなくて、その…。」
 ジッと見つめると、どんどん顔を紅潮させて言葉が口の中へ消えていく。
「みぬきちゃんに嫉妬したんでしょう? 怪我したって連絡があったんですから血相変えて飛んで来るのは当たり前じゃないですか。」
「わかってるよ、そんな事。」
「じゃあ、なんで無視するような真似をするんですか?」
「無視したかったんじゃなくて、僕の変な顔を見られたくなかっただけだよ。ちょっと複雑な気分だったから…きっと変な顔…してるし…。」
 
 響也の告げる事がよくわからず、王泥喜は俯き加減になっている響也の頬に手を置いて、引き上げる。腰を樹にもたれている響也と王泥喜の目線は同じ位置にあり、響也の碧眼が目に映ったのと同時に、唇を触れさせる。
 軽く触れただけでも、柔らかな感覚が王泥喜の本能を刺激するけれども、啄むだけで顔を離した。

「変なはずないでしょ、俺が好きになった相手ですよ。」

 だって、でもと適当な言い訳を口にする度に塞いでやれば、顔を真っ赤にしたまま恨めしそうに王泥喜を見つめた。
「…王泥喜法介…。」
「なんですか?」
「その…子供だった頃、僕が怪我をしたときに両親よりも真っ先に来てくれたのは兄貴で、真っ青な顔してて本当に心配させたんだと思ったら、いままで以上に兄貴の事好きになって…そんな事思い出したから…。」
 みっともないだろ? 
 そう告げた唇はやはり塞ぐ。そして、何が悪かったのだろうかと王泥喜は頭の片隅で考えていた。
 どうして、響也と霧人が法廷で対峙し、ああいう結末を迎えなければならなかったのだろう。考えたところで答えなど生まれはしないのだけれど。
 七年前の捏造まで全て暴かれた先生はあの法廷の後ずっと警察病院に入院している。見舞いに行こうと思ってはいるのだけれどいつ行っても面会謝絶。肉親である響也ですら滅多に逢うことは出来ないらしい。
 殆ど感情を露わにすることがなった先生は、たったひとりの弟に対してもどんな感情を頂いていたのか、王泥喜には見当もつかない。
 勿論、自分を告発した弟子の事をどう考えていたのかも…。
 
「…ちょ、おデコくん…。」

 ズルズルと落ちていく腰を引き戻す。
「…調子に乗ってきたところなんですけど。」
 笑いながら告げてやれば、調子に乗られてたまるかとばかりに腕の囲いから逃げ出された。残念…と本気で思っている事は、とりあえず内緒にしておく。
 
「彼処で何か事件でもあったんですか?」
 茜から聞きそびれた事を尋ねてみると、少しの思案していたようだったが、まあいいかと呟いた。
「案件の情報を喋るのは良くないけど、ちょっとおデコくんの意見も聞いてみたいな。」
「一体なんです?」
「オフィスに来てよ。説明するから。」


 成歩堂に連絡を入れ(早退する旨)を伝えたが、怪我をしたみぬきの事で頭がいっぱいなのだろう。全く頭に入っていない生返事が帰って来た。
 響也から聞いたところ、みぬきを連れて行った事務所にも成歩堂の姿はなく外出しているらしい。きっと、慌てて帰路についているところだろう。
 みぬきが一人でいる事は気がかりではあったけれど、程なく成歩堂も帰ってくると踏んで携帯を仕舞っていると、響也が数枚の紙を掴んで王泥喜の前に置いたところだった。
 見れば、先程みぬきが怪我をして運び込まれた病院から数メートルの場所を写した写真。その植え込みらしきものがアップになっていた。
「ちょっと、変な話しなんだけれどね。」
 響也はそう前置きをして、王泥喜に詳細を語って聞かせた。

 数日前、容疑者である青年が警察署へ自首してきた。見つからなければラッキーと考える人間が多い中珍しい人ですねと王泥喜が言うと、それにも理由があるんだと響也は告げた。
「昏倒して倒れている男性から、遊ぶ金欲しさに財布を盗んだんだそうだ。顔色も真っ青で、息をしてるかどうかわからない状態だったけど、それは容疑者の心を動かす事は無かった。」
 では、どうして容疑者が自首しようとまで思い詰めたのか?
「容疑者は財布の中身だけ取って、もう一度戻しておこうと思ったらしい。
 このまま目の前の男が死んだ場合、自分が盗みの為に殺したと思われたら困るって気持ちだったらしいんだけど、背広に手を突っ込んだ容疑者の手を、いままでピクリとも動かなかった男が掴んだんだそうだ。
 そして、『窃盗罪を犯した者は、刑法235条により、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられますよ。』と告げられた。」
「よくも、一語一区間違えずに記憶したもんですねぇ…。」
 司法試験に挑んだ際の苦労を思い出し溜息をついた王泥喜に、響也は眉を潜めた。
「オカルトじみたオチがついているからね。」
 
 刑法を論じて、容疑者の手を掴んだ被害者であるはずの男の人相が、最初に見た時と全く違う人間だったそうだ。

「…それって?」
「恐怖のあまり錯乱したとも考えられるけど、行方不明者の写真を容疑者に見せたところ、豹変する前の顔と一致する人物がいたんだ。数日前から行方不明になっていて、家族から捜索願いが出てる…。
 容疑者はきっと『呪い』だから罪を償いたいって言ってるけど、被害者はいないし…おデコくんどう思う?」
「どう思うって言われても…。」
 現場の映った写真以外にも、王泥喜の前には写真があった。写真は二枚。
一枚は容疑者の顔。お世辞にも『呪い』なんて信じそうもない強面だ。初犯じゃあないだろうから、緊張のあまりとか良心の呵責に…なんて思えない。
 もう一枚は、線の細い青年。これは、化けて出そうな気がしないでもない。
「この顔がどう変化したって言うんですか?」
「…似てもに似つかない、端正な顔立ちに変わったそうだよ。それも目の前で。」
「…困りましたね。」
「そう、困ってるんだよ。」
 響也は額にかかる髪を掻き上げて、溜息をついた。
薄い唇から出る吐息は妙に悩ましいし、憂う瞳はとても綺麗だ。

 端正だよなぁ…。

 王泥喜の出せた結論は、結局のところそんなものだった。


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